とりあえずやってみろよ

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「目的」と「目標」の違い

働く意味はなんだろうか?

この問題について、「目的」と「目標」という観点から考察していきたい。

まず、「目的」と「目標」の定義について解いていく。

「目的」

1.実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。「当初の―を達成する」「―にかなう」「旅行の―」

2.倫理学で、理性ないし意志が、行為に先だって行為を規定し、方向づけるもの。

「目標」

1.そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの。「島を―にして東へ進む」
2.射撃・攻撃などの対象。まと。「砲撃の―になる」
3.行動を進めるにあたって、実現・達成をめざす水準。「―を達成する」「月産五千台を―とする」「―額」

つまり、「目標」の本質的な部分に「目的」があるべきである。

しかし、身のまわりの人たちをみてどうだろうか。例えば、「出世」という「目標」があっても、その本質的な部分である「目的」明確に持っている人は一体どのくらいいるのだろうか?

「留学」するという「目標」があっても、その本質的な部分である「目的」(例えば、英語を身に付ける、視野を広げる)を明確に持っている人が一体どのくらいいるのだろうか?

インターンシップに参加するという「目標」があっても、その本質的な部分である「目的」を明確に持って参加している人が一体どのくらいいるのだろうか?

あるサイトに「3人のレンガ積み」という訓話が記述されていた。(以下引用)

中世のとある町の建築現場で3人の男がレンガを積んでいた。そこを通りかかった人が、男たちに「何をしているのか?」と尋ねた。

 1人目の男は「レンガを積んでいる」と答えた。

 2人目の男は「食うために働いているのさ」と言った。

 3人目の男は明るく顔を上げてこう答えた。「後世に残る町の大聖堂を造っているんだ!」と。

 この時、3人の男たちにとって「目標」は共通である。つまり、1日に何個のレンガを積むとか、工期までに自分の担当箇所を仕上げるといったことだ。

 しかし「目的」は3人ともバラバラである。

 1人目の男は目的を持っていない。

 2人目の男は生活費を稼ぐのが目的である。

 3人目の男は歴史の一部に自分が関わり、世の役に立つことが目的となっている。

 目標は他人から与えられることが十分ありえる。しかし、目的は他人から与えられない。意味は自分で見出すものだからだ。

 何十年と続く職業人生にあって、他人の命令や目標に働かされるのか、自分の見出した意味や目的に生きるのか――この差は大きい。

 仕事の意味はどこからか降ってくるものではなく、自分が意志を持って、目の前の仕事から作り出すものである。

 もちろんその意志を起こすには、それなりのエネルギーが必要だ。しかしそれをしないで、どんよりと重く生きていくことの方が、もっとエネルギーを奪い取られる。――さて、あなたはどちらの選択肢を選ぶだろうか?

このように一見同じ仕事をしていても、それぞれの「目的」がバラバラである。

10年後、3人の男たちは、一体どうなっただろうか?

この解は言わずとも、明確であろう。

この訓話からわかることは「目的」の大切さである。どれだけ明確で壮大な「目的」を持っているかで、自身の成長幅は大きく異なってくる。

「出世」という「目標」の本質に「生活のため」がある人と「自身の可能性を高めるとともに企業の成長を自身の手で支えたい」がある人

「留学」という「目標」の本質に「就活のため」がある人と「他国の文化に触れ、自身の視野を広げるとともに英語を身につけたい」がある人

インターンシップに参加する」という「目標」の本質に「みんながやっているから」「人事に気に入られたいから」「就活で有利に働くから」がある人と「社会人として必要な能力を身に付けると共に自身のウィークポイント(ギャップ)を理解するため」がある人

前者と後者では成長幅が大きく異なってくるだろう。

また、それに伴い、結果も大きく変わってくるだろう。なぜなら、そのことにコミットする度合いが大きく変わってくるからだ。

「目標」の本質的な部分に明確な「目的」を持つことは自身の成長を考える際(特に20代)にとても大切である。